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要領がいい利用者さん
最近の利用者さん要領がいい人が多いですね
たとえばAさん更新時期になると必ず具合が悪くなり医者に根回しする方。介護度をあげるためのようです。旦那さんが医者なのをいいことに都合よく記入されるようです。そしてBさんケアマネやサービス責任者が訪問すると愛想よくして八方美人になる方、もっとひどい方もいらっしゃいますね。Cさん服を着ることも靴下を履くことも出来るのにヘルパーさんを当てにして出来ないフリをする方などなど、すべてヘルパーさんでこれらの不満を受け止めないといけないのです。Aさんは要介護3自力で歩けるし買い物だって自分でいけるのです。サービス時間90分調理の援助旦那さんと2人分ですが、まるで10人ぐらい家族がたくさんいるのではないだろうかと思うくらいの量を作らされます。それも週4回の料理と3回の掃除です。
Bさんお茶出してお菓子だしおべっか使って話されています。最後には手土産まで持たせていますよ。そのつけがヘルパーに必ず帰ってきます。掃除で90分の援助です。汚れが取れていないと文句は言うし、ここも何処もとしちゃいないところまで注文されます。責任者に報告するとあそこはいいからやってあげてだって。Cさんは要介護1自分でするのが面倒だと言われます。小さい時からあまやかれて育てられたそうです。てつだわないと服着るのに1時間以上かかります.どうしてこんなに自己中心的なんでしょう。最後に利用者さんが言われることは前のヘルパーさんがよかっただって。質が低下したわねだって。
【愚痴はきだめスレ】向きの内容ですね。
この業界に長くいると、大なり小なり皆さんが経験しています。
自分の中でどう折り合いをつけていくかが課題です。
ご無沙汰しています。
あまりにも・・・と思い、投稿します。
いろんな人生経験を積まれた方々でしょうに、なんだか残念に思えてます。
Aさんは、へたをすれば、詐欺罪を問われることになるのでは? と考えます。保険者に相談すべき問題だと思います。
本当に、独り暮らしで頑張っている人たちに失礼だと思います。
レスをしようか迷いましたが、こうした話題は業務上の守秘義務も絡むので、現場の方々が日々葛藤する
現実であると思います。自分もあえて具体的な事例は書きませんが、この国はいつから、こんなにおかしく
なってしまったんだろう、、と虚しくなることもあります。
こうしたご利用者さん方に関しては、他者への依存により身体、精神状態の悪化を早め、いずれ自分で
自分の首を絞めることになります。死に対峙する時、誰にも依存できない孤立と断末魔の苦しみの中で、
自分の人生は何だったのかと気付いても、もう手遅れなわけで、人は生きてきた通りの死に方しか出来ない、
というのは、ある意味正論だと思います。
ひとつだけ、自分の担当事例を挙げると、Aさんに酷似した事例で、夫婦の片方がほぼターミナル状態、
それを察した往診の医師の方が別居のご家族に同居を勧めたところ、「同居したらヘルパーが当事者の
食事作りや掃除のサービスに入れなくなる」という理由で、同居を反対なさいました。
親の死に目を看取ることよりも、家政婦を安く使えなくなることの方が大事(おおごと)、というご家族。
ご利用者さんの価値観を見続ける、ご家族もまたその価値観は歪んでゆき、結局当ご利用さん方々にとって、
ヘルパーを使うことは、本当の幸せだったのだろうか?と考えさせられました。
ですが、別の意味で、こうした現実が顕在化することにより、現場ヘルパーの離職率の増加に拍車を
かけたり、介護保険を払わなくなってしまう層が出てきてしまったり、自分の老後も、皆やってるのだから
自分も違法を許されるはず、という層(特に業界関係者)に出てきてしまう可能性を非常に危惧しています。
こぶたちゃん。 さんへ
貴方様の心やさしいレスを拝見しまして、今の自分のトガッた
心に嫌気がさしました。あさはかなレスをしてしまったと反省しています。
どうもありがとうございました。
りくのことう様。レスありがとうございます。
>あさはかなレスをしてしまったと反省しています。
いえいえ、日頃のストレス解消も兼ねて、思ったままを書いた方が、いいと思います。
個人情報保護もありますが、そのために、「匿名事例」として論じているのですから。
私もヘルパーなりたての頃は「訴えてやるー!」状態の日々が続きましたが、ここ2、3年、特に今の事業所に
在籍してから「猫も杓子も」状態なので、一つの事例に悶々としていると、精神的に疲れてしまって、
他の事例にも入れなくなってしまう、そんな現状と闘っています。
良くも悪くも、我々に「人生」を教示して下さっているご利用者さん方々です。机上の事務屋さんが作った
制度で、人の数だけある事例の顧客満足度を完全網羅することなど、所詮不可能なのだと痛感しています。
在宅介護、というよりも、被災地難民救済のNGOのような在宅介護現場、現状、国政の政治家さんたちには
どれくらい見えているのでしょうね。
財力があっても、自分で出来ても他者(しかも金で解決する手段で)に依存するという満たされなさ、
飢餓感は、自分の人生を否定し、自己放棄している意味にも受取れ、結局はどんなに物的に満たされても、
心は満たされないご利用者さんの虚しさに、援助者としては、「非審判的態度の原則」を貫きながらも、
仕事として、寄り添うしかないのかもしれません。
どうすれば、ご利用者さんに「生きてて良かった、自分の人生はこれで正解で、長生きしてきて本当に
良かった」と思えるような道を見つけて頂けるのか、試行錯誤の毎日です。
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